こんにちは。
ワタナベミエです。
「銀行員の本音シリーズ」と題して、私がこれまで銀行で経験してきた“人の物語”を数回にわたってお届けしようと思います。
銀行員として長く働いてきましたが、「支店長」という存在は、時代とともにずいぶんと変わったなと感じています。
昔の支店長は、ぶっきらぼうで怖かったけど、一本筋が通っていて信頼できる人が多かった。
今の支店長はというと…本部の顔色ばかりうかがい、お客様に嫌われないように気を使いすぎて、肝心なときに“本音”を出さない。
それで本当に信頼関係って築けるの?と、つい思ってしまいます。
そんな支店長たちの変遷を、私の体験を交えてシリーズでお話ししたいと思います。
第1回目は、ある支店長の退職の日に起こった、忘れられない出来事から始めます。
ある支店長のこと
その支店長は、私にとって“職場のお父さん”のような存在でした。
いつも静かで落ち着いていて、決して口数が多いタイプではありません。けれど、支店の空気が少しでも緩むと、その緩みをピリッとした一言で締める。その存在感は絶対的でした。
何より、職員一人ひとりをしっかり見てくれている人でした。
私がまだ融資担当として駆け出しの頃、失敗して落ち込んでいた時もありました。そんなとき、ある日の帰り道、偶然支店長とばったり会ってしまったのです。少し気まずい気持ちで挨拶をしたところ、支店長は一言。
「お前、飯でも行くか」
何気ないその一言で、心がふっと軽くなったのを今でも覚えています。
その食事の席で、支店長はこう言いました。
「心配しないで、この支店でちゃんと勉強すればいい」
その言葉に、どれだけ救われたか——今思い出しても、胸が熱くなります。
昔の銀行には“情”があった
支店長は現在、60代後半。
昭和の時代から銀行員として働いてきた人です。
当時の銀行は、今のようにコンプライアンスや規則でがんじがらめにされておらず、支店長の裁量も大きい時代でした。
お客さまとの関係も、今よりずっと濃く、良くも悪くも“情で動く”世界でした。
融資の相談ひとつとっても、書類ではなく「人」を見て判断するという気質がありました。お客さまの冠婚葬祭にも駆けつけ、商売の悩みも一緒に背負っていたような時代です。
だからこそ、仕事には厳しい反面、支店内にはどこか“家族”のようなあたたかさがありました。
忘れられない、あの日の涙
その支店長が定年退職を迎える日、私たちは職員みんなで送別会を開きました。
会場は、地元のちょっといいお店。ふだんは厳しい上司も、今日は笑顔でお酒を飲んでいました。
そして最後、支店長が挨拶に立ったとき——。
「……みんな、本当にありがとう」
その一言を口にした瞬間、支店長の目から大粒の涙がこぼれました。
「大変なこともたくさんあった。でも、みんながいてくれたから、頑張れた」
そう言って、声を詰まらせながら何度も言葉を飲み込み、涙をぬぐう姿を見て、私たち職員も思わずもらい泣きしてしまいました。
本当に支店を大切にしていたこと、一人ひとりの職員のことを心から思ってくれていたことが、あの涙に詰まっていたような気がします。
支店長の“頑固さ”もまた、誇りだった
一方で、支店長は昔ながらの頑固な一面も持ち合わせていて、
お客様とトラブルになった際には、絶対に自分の信念を曲げないという強さもありました。
今の支店長なら「上に相談して……」と安全策をとるところを、
その人は「自分が責任を持つ」と、自ら前に立つ人でした。
当時は“融通が利かない”と思うこともありましたが、今振り返ると、筋を通すという信念があったからこそ、あの時代の銀行員らしい“人間味”があったのだと思います。
だからこそ、支店の職員たちはその支店長についていったのです。
「あの人が言うなら、きっと大丈夫」
そんな信頼が、確かにありました。
時代は変わっても、大切なものは変わらない
今の銀行は、どんどん変化しています。
効率化、デジタル化、ペーパーレス。合理的で、理屈が通っている。銀行での働き方も大きく変化しました。でも、一方で時々息苦しさを感じることもあります。
それでも、私が今でも銀行で働き続けている理由の一つは、あの支店長のような「人との関わり」があったからかもしれません。
「銀行は数字だけじゃない。人が、人を支えている」
あの支店長の涙を、私は一生忘れません。
次回は 『銀行員の本音シリーズ第2話 : 昔の支店長には“骨”があった』 です。
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