「なぜ、ここまで話がこじれたのか」「なぜ感情論が先行したのか」は、実際の住宅ローンの現場で起きた出来事を見ると、より理解しやすくなります。現場の空気感を描いた本編はこちらです。
→ 住宅ローンの現場で起きた理不尽な出来事(本編)
※この記事は、銀行の現場で起きた出来事をもとに、実務の感覚と構造を整理した補足コラムです。法律・税務の専門的判断を断定するものではありません。具体的な判断が必要な場合は、専門家へご確認ください。
結論から言います
「節税できなかったこと」を理由に、銀行が損害賠償を請求されることは、現実的にはほぼありません。
これは感覚論でも、銀行側の擁護でもありません。実務と構造を冷静に分解すると、そう言わざるを得ない、という話です。
税金は「払うのが前提」、節税は結果論
まず大前提として、税金は払うものです。節税とは、「法律の範囲内で、結果的に税負担が軽くなった状態」を指します。
つまり、節税には次の性質があります。
- 節税は義務ではない
- 成功して初めてその恩恵を受ける
- 事前に保証されるものではない
「節税できなかった=損をした」という発想自体が、実務的にはすでに一段ズレています。
損害賠償が成立するための3つの条件
一般論として、損害賠償が認められるためには、少なくとも次の3点が必要です。
- 違法性(やってはいけない行為があったか)
- 損害の発生(具体的な金銭的損失があるか)
- 因果関係(その行為が原因で損害が出たと言えるか)
この3つがそろって、初めて「賠償」という話になります。では、「節税できなかった」は、この要件を満たすのでしょうか。
「節税できなかった」は損害と認めにくい
結論から言うと、このケースでは損害として非常に認めにくいです。
理由は単純です。
- 税金は本来払うべきもの
- 「払った税金」は損害ではない
- 「もし○○していれば安くなったかもしれない」は仮定の話
この時点で、「損害」の立証が難しくなります。
さらに、その節税スキームが必ず成功したと言い切れるか、という問題もあります。節税は、実行・運用・税務判断が噛み合って初めて成立します。途中で否認される、想定と違う扱いになる、ということは珍しくありません。
銀行は顧客に対して「節税を保証する立場」にない
ここも誤解されやすい点です。銀行は、融資の可否や返済能力の確認、担保や契約条件の整理を担う立場であって、節税効果を保証する立場ではありません。
税務判断の最終責任は、税理士や本人(会社)にあります。銀行が一般論として触れることはあっても、それは助言であって、約束ではありません。
「会社で住宅ローン」「会社名義の居住用不動産」という前提のズレ
今回のテーマに近い話として、「会社で住宅ローンを組めば節税になる」という前提ですが、この前提自体が、住宅ローンの商品性と噛み合っていません。
住宅ローンは本来、個人が自身や家族の居住用として不動産を取得する場合に、生活基盤の安定を目的として優遇金利が適用されるローン商品です。
そのため、
- 会社名義で
- 社長個人の居住用として
- 住宅ローンを利用する
という形は、そもそも制度の想定外となります。
実務上も、会社名義で社長の居住用不動産を取得し、住宅ローンを組むというスキームが、正面から成立することは基本的にありません。
実務で「損害賠償」を連呼する人の心理
現場で見てきた限り、「損害賠償だ」「責任を取れ」と強く言う人の多くは、次のような状態にあります。
- 自分の判断が間違っていたかもしれない不安
- 税金を払うことへの恐怖
- 誰かのせいにしないと気持ちが収まらない
感情としては理解できます。ただ、それと法的・実務的な責任の有無は別問題です。
本当に銀行が賠償責任を負うのはどんなケースか
誤解を避けるために言っておくと、銀行が賠償責任を負うケースはゼロではありません。たとえば、次のような場合は話が別次元になります。
- 明確な誤説明をした
- 契約内容と違うことを行った
- 説明義務がある重要事項を隠した
ただし、「節税できなかった」という話とはレベルが違うというのが実務感覚です。
今回のケースは、次元が違う
整理すると、今回のようなケースは次の要素が重なっています。
- 税金を払うのは前提
- 節税は結果論
- 銀行は保証していない
- 損害の立証が難しい
だからこそ、現実的に「損害賠償」に発展することは、ほぼありません。
補足:なぜ「損害賠償」という言葉が独り歩きするのか
今回の件をもう一段だけ俯瞰して見ると、問題の本質は「法律」や「税務」ではありません。管理職の感情の処理の仕方です。
銀行の現場でよくあるのは、
- 自分の判断や発言を、部下から否定された
- 取引先の不満が、自分の責任として跳ね返ってきた
- その場で論理的に整理する余裕がなかった
こうした状況が重なると、「損害賠償」「責任問題」という強い言葉が、あたかも“正論”であるかのように使われ始めます。しかし実際には、その言葉自体が問題を整理するどころか、現場をさらに混乱させているケースが少なくありません。
管理職が自ら理不尽さを招いてしまう瞬間
管理職の立場にいる人ほど、「自分が間違っていたかもしれない」という感情を、正面から受け止めにくくなります。その結果、次のような行動が起きます。
- 事実関係よりも立場を守る
- 論点整理よりも威圧的な言葉に頼る
- 部下の提言を“反抗”と受け取ってしまう
こうして、本来は冷静に収束できた話が、取り返しのつかない対立構造に変わっていくのです。
管理職にこそ必要なのは「強い言葉」ではない
ここで大切なのは、「責任を取らないこと」ではありません。
- 何が事実で
- どこまでが仮定で
- 誰の判断領域なのか
これを一つずつ切り分けることです。「損害賠償」という言葉は、問題を解決するための道具ではなく、使い方を誤ると、組織を壊す言葉になります。
理不尽な現場を生まないために
管理職の役割は、自分が正しいことを証明することではありません。
- 現場をこれ以上こじらせない
- 部下が冷静に意見を言える空気を保つ
- 感情と実務を切り分ける
それができるかどうかで、同じトラブルでも結果は大きく変わります。今回のようなケースは、「誰かが悪い」という話ではなく、管理の仕方ひとつで防げた理不尽さだったとも言えます。
さいごに
今回のケースのように、銀行の現場では言葉ひとつで空気が一変します。だからこそ、管理職の発する言葉には、実務以上に慎重さが求められます。
この記事が、同じ立場にいる人にとって「自分は大丈夫だろうか」と立ち止まるきっかけになればと思います。



コメント